研究予算を減らさないで!
「障害者枠」に難病も含めてください!
総合的難病対策の拡充を!

「今後の各党の難病対策基本プラン」を聞く
2009JPA
全国患者・家族集会
 
日時 2009年11月14日(土)13:30〜17:00
          15日(日)9:00〜12:00
場所 晴海グランドホテル
参加 約180名
主催 JPA(日本難病・疾病団体協議会)
その他
難病対策の推進を求める国会内集会&要請行動
  (11月16日)はこちら
                                         
 ●アピール文、特別決議(PDF)
新政権誕生で難病対策の前進が大きく期待される一方で、2010年度予算概算要求では難治性疾患克服研究事業が100億円から75,5億円に減額されようとしています。
集会では予算削減に反対する声が高まるなか「どんな病気になっても安心して生活できる医療と社会保障を作ろう」を合言葉に難病対策の拡充に向かってみんなで力を合わせていくことを確認し合いました。

 プログラム
第1日 11月14日
第1部全体集会 午後1:30〜5:30 
主催者あいさつ 伊藤たてお代表
 皆様ご苦労様です。ご来賓の皆様ご多忙の中ありがとうございます。
 5月の末にJPA総会を開き、様々な方針や課題について協議しそれ以降取り組んできました。そして、8月の総選挙以来日本の政治あるいは私どもを取り巻く社会保障をどう進めていくかという状況では大きな変化がありました。
 それは私たちがまだ取り組めていない分野のこともあり、準備が不足のところもあり、お願いしてきたことが進んでいる分野もあり様々です。私たちはこれからどういう状況で活動を進めていかねばならないのかを、この全国交流集会で確認をし全国の患者さんの声をきちんと国や国会に届けていく、そういう活動をするための集会にしたいと思います。
 今日は短い時間の中にたくさんの日程が詰まっており、各党を代表して、難病対策についてのお考えをお聞きするセクションも設けてあります。実りある充実した全国集会にしましょう。
 明日は分科会で様々な問題を討議し、明後日は国や国会へ私どもの要望を届ける行動も考えています。
 体調の悪い方もいらっしゃる。適当にゆったりした時間をとりながら最後までご参加いただきたいと思います。 
              
来賓あいさつ及びメッセージの紹介
・玉木朝子(栃木県難病連会長、民主党衆議院議員)
 昨年の栃木集会ではお世話になりました。 今年8月はじめに栃木県難病団体代表として民主党から立候補を進められ、患者団体の思いを伝えるために立候補しました。患者としての議員はいますが、皆さん薬害関係で、難病患者としての議員ははじめてなのです。難病議連の中に入れていただき当事者としての声をあげていきたいと思います。
 30年間の難病患者・患者会活動の中でいろいろな疑問を持っています。その中のどれ一つをとっても簡単に実現できるものとは思っていませんが、当事者として活動を続けることに意義があるのかなと。病気をもっていても、たとえ一期でも議員を続けられたと認めていただけることが、皆さんのこれからの就職活動にもプラスになると考えているところです。私の部屋を自由に使っていただいて患者会活動役に立てさせて頂きたいと思っているところです。
                 
・住江憲勇(全国保険医団体連合会連会
 全国からお集まりの皆様ご苦労様です。保団連は、全国で10万3000人の会員を擁する医科・歯科一体の団体です。
 特定疾患(医療費の助成)に11疾患が加えられ、10月1日に遡って医療費助成が行われることになりました。運動することで私たちや皆さん方の願いが一つ一つ実現していく大きな成果でした。こういう運動こそが、要求を実現していくと確信を持ちたいです。しかし2010年度の概算要求では、難治性疾患克服研究事業は、今年度の100億から来年度には75億5000万に削られたことも事実です。概算要求だから今後どれだけ積み上げていけるか、民主党の先生方にお願いしたいです。適応外医薬品は、概算要求にも盛り込まれてない問題点も一方ではあります。今後の予算編成で復活し、難病研究・新薬開発予算が充実することを強くJPAとしても要望していただきたいです。これについても、私どもも全面的に支援し、ご協力もさせていただきます。
 医療費負担軽減だけでなくあらゆる生活を支えていく、そういう施策を早急に求められているところです。総合的施策は、一気には実現困難かもしれませんが一つ一つ具体的に積み上げていくことが課題だと思っています。
 今回の政権交代は、歴史的な政治前進です。自己責任論、小さな政府論、国際競争力強化論という新自由主義構造改革路線の政治経済運営によって何がもたらされたか。それは、雇用と賃金の破壊、医療社会保障の崩壊、地域社会での国民生活の崩壊であり、こういった政治責任を問うた審判で、国民は決別を選びました。これを要求実現の好機として捉え、いっそうの御奮闘を願いしたいです。「新たな難病対策特定疾患対策の提案」を全面的に支援、協力します。
 今日、明日の集会の大きな成功を期待しています。
                  
患者・家族の訴え
・はむろおとや(下垂体患者の会)
 下垂体機能障害は特定疾患に指定されました。お金の心配をしないで治療を受けられる日を私たちはどれだけ待ち望んだことでしょうか。難病指定にご尽力をいただいた与野党の心ある政治家のみなさん、私たちはこれから病気とともに生きていく命と勇気をいただいたと思っております。指定された11疾患の患者団体の一つとして心からお礼申し上げます。
 今回の認定では下垂体機能障害など11疾患に光があたりましたが、同じような症状、同じような苦しみを背負う病気が残されております。私たちに光があたればその分、周りは暗くなるような気がします。やはりみんなが助からないと本当の解決にはならないと私は思います。そのためには制度から改める必要があり、特に長い治療をする人たちが救われないといけないと思います。
 また、医療費助成だけでなく、内部障害者として生活の保障、福祉にも光をあててほしいと思っております。たとえばクッシング病ではストレスに弱くなり疲れやすくなります。ある若い会員は、疲れやすいため月に2度しか入浴をできないといっていました。外出はほとんどしていません。しかし、疲れやすさというのは身体機能に異常があるわけでありませんから、日本では障害者手帳ももらえません。内部障害も社会全体で支えていくセーフティネットが必要だと思います。
 今は病気のことを隠さないと就職も結婚もできないのかもしれません。社会に私たちが合わせるのではなく、社会が私たちに合わせるべきです。たまたま臓器や病名が違うからといって難病指定されたりされなかったり、障害者手帳をもらえたりもらえなかったりする。そういう世の中ではなく、今問われるべきは命を大切にする、そういう政治を夢ではなく現実のものにしていく段階にきていると思います。
 弱者に光をあてる行政を求めて私の発言を終ります。
             
・高田秦一(北海道難病連)
 地域医療に関して「患者会の訴え」をします。はじめに北海道でのエピソードを紹介します。
 去年の今頃、私は北見枝幸という町に難病連の用事で行ってまいりました。日本の北の果てからオホーツク海沿いに約50キロ、人口1万強で、おいしく栄養豊かな農産物や水産物を日本中に供給する町です。札幌から350キロほどの距離ですが、鉄道はなく長距離バスが唯一の公共交通手段で、札幌行き一日1本の早朝7時丁度発に乗って驚きました。客同士は顔なじみのようで、お年寄りばかり10人ほどが高いステップを互いに手を引いたり背中を押したり時間をかけてバスに乗り込むのです。「父さんの見舞いで札幌にいくんだー」とか「冬は雪がすごくて病院には通えない」など話題は健康のこと病院のことばかり。森の中を約1時間半走って地域中核市である名寄の市民病院前で夫婦ら3人降りました。さらに南へ2時間で大都会の旭川に到着し、市民病院前2人ほかの病院に行くといって2人降りました。手短に言えば10人中8人が通院のためのバス利用でした。
 北見枝幸、実は神経難病では画期的な地域連携医療の仕組みができたと、今年沖縄で行われた難病センター研究会でこの町の保健師さんが発表をしたところです。しかし他の疾病では、こうした困難を押して大都会まで通院せざるを得ないという現実を目の当たりにしました。
 もう一つの話題はその旭川からJR特急で3時間ほど東にある、オホーツク圏の拠点市である北見で起きたことです。新潟県の広さがあるこの地域31万人の三次医療の拠点病院・北見赤十字病院では08年2月から医師の退職を理由にリウマチ膠原病内科の診療停止を決め、リウマチ・膠原病の約2000人といわれる患者は厳冬の大地に放り出されました。2000年には14人いた専門医が次々と退職し遂に全員が退職したとのことで、テレビは難病患者が見知らぬ旭川市に家族ぐるみ転居せざるをえなかった例や、会社を休んだ夫の車で危険な冬道160キロを釧路まで通院する夫婦を放映していました。残された患者は不安であってもやむなく専門外の他の医師に移るわけです。北海道難病連は2月26日に緊急の市民の集いを呼びかけ、関係者と市民250人がこの深刻な地域医療の実態を全国に発信しました。難病連が8月に行った影響調査アンケートでも「専門医がいないので片道3時間半もかかる旭川へ早朝から夜まで一日がかりの通院で経済的にも体力的にも大きな負担だ」「病勢が進行しこの先自力で通院できなくなったら通院を我慢するしかない」などの声が上がっています。その後一年半たって北見赤十字病院では先月(10/20)ようやく1名の専門医を確保して診療再開をしたそうです。 
 これまで北海道の北半分の事例を申し上げましたが、太平洋側の釧路・根室や日高、日本海側の檜山や後志・留萌という他の地域でも同じ課題を抱えています。
 医療が極端に大都会に集中している現状は改善の兆しさえありません。北海道保険医師会の調査でも地域経済の地盤沈下と過疎化が進み、医療も効率が悪くなって経営悪化、さらにその場しのぎの医療政策が医師や看護師はじめ医療スタッフの過重労働を進めているといっています。生活圏で医療が完結することを地域医療だと思うのですが、それができない今、医療関係者も必至になってその対応を考えています。しかし有効な対応策も見出されぬまま、他の医療機関に支援を頼んだり、患者の送迎や労働時間の強化でしのいでいるのが現状と先の報告では言っています。 
 自治体も北海道では厳しい地方財政の中で医療政策をやりくりするため、高度な医療サービスのできる三次医療圏として北海道を大きく6つに分け、それをさらにおおむね入院サービスの完結を目指す二次医療圏が21地域、初期医療を提供する一次医療圏180地域に分類し、相互支援の体制を敷いています。でも身近な自治体病院は縮小・廃止され、広大で都市までの距離が長く冬の間の厳しい自然条件の中でこれらの医療機関にたどり着くことは至難のわざとなっています。
 本当に医療を必要としている人は自家用車の運転もままならないのですが、地域ではとうに公共交通機関はなく、冒頭のエピソードでもバス停まで出るのに知人の好意に頼らざるをえない。札幌近郊の町でもコミュティバスや乗り合いタクシーなどを考え出して対応しているのが実情で、町の構造や住民のライフスタイルに対応した暮らしと交通を考えることは欠かせない課題になっています。
 一方、地域住民の健康を守る保健所は、地域保健法で始まった保健所の新体制で難病はずうっと後景に押しやられ、難病を担当していた保健師さんは流行のインフルエンザから日常の慢性疾病管理・指導も受け持って、難病患者の家庭訪問などは手に余している現状です。北海道難病連は北海道と協働して難病医療福祉相談会を開催していますが、その行政側の担い手である保健所が腰の引けた状態で、現場には予算・人手・やる気がないという極めて消極的な対応です。しかしながら実際に難病医療福祉相談会を終わってみると、どの保健師も生きいきとしてその日の成果を総括し、看護師冥利に尽きるみたいな表情に帰るのです。
 北海道では難病連が道の難病政策に深く関与して『北海道医療計画』にも組み込まれており、患者の状況は道にも良く知られています。患者の声の届けにくい都府県ではどのようになっているのでしょうか。地域に暮らしている人たちの命に直結したこの問題は根深く、日本の社会の構造的な問題だと思います。政権交代の後、これまでのしくみを住民本位に変え、地域の人たちの元気を取り戻させるためには、私たちはもっともっと地域発の事実と情報を発しなくてはなりません。命がけの闘病をしてきた難病患者だからこそ、命を守るしくみを世間に訴える使命があり、患者のみんなが声をあげることこそ、政党のマニュフェストに命を吹き込むことになるのだと思い、報告とします。
                            
・若宮有希(遠位型ミオパチー患者会)
 遠位型ミオパチーは、筋力が手先や足先から徐々に低下していく進行性の筋疾患です。全国に300人から400人の患者がいると推定されています。
 私が診断されたのは、19歳のときでした。初めのころは、「運動不足による体力の低下」より少しひどいくらいでした。現在は、かろうじて文字を書いたり、A4の紙をめくることはできますが、A3の大きさは無理です。
 「何かができなくなると、体調管理が悪いから」と自分を責め、精神的にも疲れ果てて心の病にもなってしまうと思う時もあります。
 現在、情報システム関係の会社に勤め、親元で暮らしています。食事、入浴、トイレ、就寝時の数時間ごとの体位交換などをヘルパーさんや家族、同僚に助けてもらいながらの生活です。現在のこの状況は本当に恵まれていると思います。
 一方、病気が進行し、両親も年をとっていくなか、いつまでこの環境で暮らせるのか不安です。
7年ほど前、原因となる遺伝子がわかりました。治療薬が飲めるかもしれない。どんなにうれしかったことでしょうか。薬ができて、完治しないまでも少しでも進行がとめられれば、現状を維持する希望が持てます。私にとって切実な希望です。
 しかし、同時に、患者数が少なく、費用面の問題で「製薬会社がみつからない」とも聞きました。ようやく今年の8月、経済産業省の助成で、製薬会社が開発に着手することになりました。
 難病の薬の開発を民間の市場に任せていては解決できません。国の対策が必要です。
今年度、遠位型ミオパチーは「難治性克服疾患研究事業」に新設された「研究奨励分野」に入り、全国的な実態調査をするための研究班が発足しました。しかし、これは1年単位のものと聞いています。
 長期間にわたって進行していく性質の病気を1年だけで、どこまで研究できるのか、疑問です。
さらに、来年度概算要求では、難病研究の予算が今年度の100億円から75,5億円へ減額となりました。
 根本的な治療もない私たち難病患者にとって、研究の進展が希望なのです。予算が減ることによって研究が滞ることのないよう、国の対策をお願いしたいです。
            
各党から「今後の難病対策の基本プラン」を聞く
・岡崎トミ子議員(民主党難病対策推進議員連盟会長)
・江田康幸議員(公明党難病対策プロジェクトチーム座長)
・紙智子議員(日本共産党参議院議員)
 
◎3議員の発言要旨はこちら(PDF)

<メッセージをいただいた方々>
・自民党 参議院議員 舛添要一氏
・自民党 衆議院議員 馳 浩 氏
・自民党 参議院議員 有村治子氏
・国民新党 参議院議員 自見庄三郎氏
    
JPAの要望と情勢について (伊藤たてお代表)
 ◎講演録はこちら(PDF)
           
トピックス講演「医療基本法とは何か」(患者の権利法を作る会事務局長・弁護士小林洋二氏)
 ◎講演要旨はこちら(PDF)
・人間が人間であるが故に有する権利(基本的人権)は、疾病や障害によって享有を妨げられない。  
→患者の自己決定権(患者の自由権的側面)
・疾病や障害をもつ人が、基本的人権を享有するためには、医療へのアクセスが必要不可欠。  
→最善の医療を受ける権利(患者の権利の社会権的側面)
アピール、特別決議の採択 ・「アピール文」はこちら(PDF)


第2部 交流会 午後6:00〜8:00
 交流会の写真集はこちら
                         
第2日 
第3部 分科会 午前9:00〜12:00
第1分科会 「今後の医療制度と難病対策」
   進行(野原正平、はむろおとや)
 ◎報告はこちら(PDF)
 ▽レジュメはこちら(PDF)
第2分科会 「患者・障害者の社会福祉制度」
  進行(一樋義明、水谷幸司)
 ◎報告はこちら(PDF)
 ▽問題提起資料はこちら(PDF)
 ▽メモはこちら(PDF)
               
第3分科会 「患者会の組織・財政と後継者」
  進行(畠澤千代子、辻邦夫)
 ◎報告はこちら(PDF)
                    
難病対策の推進を求める国会内集会&要請行動(2009年11月16日)報告はこちら
           

  2009JPA全国患者・家族集会
    −団体要望・事例集−はこちら(PDF〈358KB〉)


 患者家族集会に参加しての感想(匿名)

 家族が難病で、先日の患者家族会に参加加させていただきました。初めての参加でしたが、大変有意義な勉強会で、またいろいろな病気・障害を抱えておられる皆さまと交流できて、多くを学ぶことができました。その中で「日本の社会制度は、ヨーロッパなどに比べ遅れている」というお話がありましたが、以前オーストラリアに住んだことがありその違いを体験しました。
 永住ビザを持っていたので、選挙権以外は国民と同等の権利を得ることができました。「移民」として住み始めましたが、言葉と文化に違いがある非英語圏から来た人たちには、英語とオーストラリアの文化や政治などを学ぶことのできるプログラムが用意されています。学生としてフルタイムで学ぶと、学費免除に加え、私と配偶者のそれぞれに生活費の支給もありまして、安心して勉強に専念できました。
 「センターリンク」という公共の機関があり、日本で言う福祉課とハローワークが一緒になったようなものです。そして私が学んだ学校はTAFEといって、普通の学校と違い、高校中退の人たちが再び学びに来たり、私のような外国人が学べたり、職業訓練(大工、調理、マッサージ、介護など色々です) やアートなど幅広く学べます。成人や老人の参加者も多く、地域に開かれており、所得の低い人は学費の免除もあります。オーストラリアはイギリスの連邦で、福祉の考え方がヨーロッパに近いと思います。学生や所得の低い人たち、病気・障害を持つ人たち、母子家庭など、社会的な弱者に対してのサービスが充実していると感じました。必要なら、センターリンクが、生活保護や医療年金の支給、就労の斡旋を行い、TAFEや医療機関と連携して、医療サービス、勉強や資格取得、職業訓練など支援を行います。
 医療に関して私の体験です。原因の分からない症状で休業し、結果として欝状態と診断されましたが、医師は最大半年の休養と、カウンセリングのプログラムを認めてくれました。その間の医療費が免除され、診断書を持ってセンターリンクに行くと医療年金に当たると思いますが、即座に支給手続きをおこなってくれました。そのあり方がスムーズで、サービスを受ける際の不安や罪悪感のような気持ちを持つこともなく、福祉に対する意識の高さ感じました。日本もそのように変わっていかなければならないと感じています。