5月23日を難病の日に登録しました。
JPAは2014年5月23日に「難病の患者に対する医療等に関する法律」(難病法)が成立したことを記念して、毎年5月23日を「難病の日」に登録いたしました。患者や家族の思いを多くの人に知ってもらう機会とするのが目的です。
難病は人口の一定の割合で発症すると言われており、けっして特別なものではありません。あなたがそうであるかもしれないし、あなたのご家族やご親戚、あるいは友人や会社の同僚のなかにも難病で療養されている方や治療を続けながら働いておられる方がいるかもしれません。そうした方々に想いを寄せていただける日になれば幸いです。
年・月 | 内 容 | |
---|---|---|
難病という病名はありません。原因がわからず治療が困難は疾病を社会通念的に難病と言うようになりました。海外には難病という言葉はなくわが国独特の表現です。 かつて結核やハンセン病も原因不明で不治の病とされ難病でしたが、現在は原因が究明され治療法も確立されています。このように時代と共に難病も移り変わります。 |
||
1960年代 | わが国は、高度経済成長の中で原因不明かつ治療が困難な病気が各地で発症し大きな社会問題になりました。この頃から難病という言葉もよく使われるようになっています。難病は社会から恐れられたため、患者に対する差別や偏見も相当なものでした。 やがて、そうした疾病の一部は工場から排出される水銀やカドニウムであったり、市販の胃腸薬などに含まれる成分が原因であることがわかりました。 一方、これまで見過ごされてきた公害や薬害以外の原因のわからない病気についても注目されるようになります。そして、徐々に難病者を救済しなければならないという社会の機運も高まり、国会で難病問題が取り上げられるようにもなりました。 |
|
1972年9月 | 上記の背景から国は難病対策要綱を制定すると共に原因や治療法の研究、医療費の助成などを柱とする難病対策に着手します。 特に薬害スモンの原因究明は、集中的に研究を行えば成果が期待できるということから難病対策の大きな契機となりました。 |
|
1973年〜 | 難病対策は大きな成果を挙げ、原因及び病態の解明や対症療法の開発などにより、患者の予後は飛躍的に向上しました。また、高額な医療の助成は、安心して治療を受ける上で欠かせないものです。 一方、法律的裏付けのない予算事業であるため、対象にできる疾病が限定的になるなど対策そのものにも限界がありました。 1980年代以降は低成長の時代に入り、医療などの社会保障制度も徐々に陰りが見え始めます。 こうした時代背景のなかでJPA(前身のJPC時代も含める)を中心とする患者団体は、総合的な難病対策の確立を求めて政府に対して積極的な働きかけを続けました。 |
|
2014年5月 | そうした運動の成果により2014年5月23日、「難病の患者に対する医療等に関する法律」(難病法)が国会で成立しました。2015年1月から施行され、新たな難病対策の始まりです。 しかし、これですべての問題が解決できたわけではありません。対象疾病は大幅に増えたものの、今度は軽症者が外されるなど逆に法制化による問題点も見えてきました。 さらに難病者への理解や共生社会の実現、生きていくための就労や病気で働けなくなった人の生活を保障する障害年金制度の後退など、新たな課題もあります。 |
|
2017年12月 | 12月31日で難病法による経過措置の終了。 法制化前に対象になっていた多くの患者が軽症者扱いになり研究や医療費の助成対象から外されました。 |
|
2018年2月 | 5月23日を「難病の日」に登録。 患者や家族の思いを多くの人に知ってもらう機会とするのが目的です。 |
|
2020年 | 難病法の改正(予定) 法制化による問題点を改正してより良い難病対策の実現を目指します。 |
|
2020年〜 | 再生医療やゲノム編集など、医療は新たな段階に入ろうとしています。一方、医療費は年々高騰をしており、超高齢社会の中で医療や介護をめぐる情勢は厳しい時代を迎えています。 このように期待と不安で混沌とした時代に向かいますが、命の重みが軽視されることなく難病者を含めて誰もが安心して生きていける社会の構築に向けて一歩一歩み続けましょう。 |
|
生きづらさが社会問題として取り上げらることがありますが、難病を抱えての生活もけっして楽なものではありません。難病者や障害者に対する社会の障壁がなくなったわけでもありません。男性と女性、上司と部下、若者と老人そして難病者や障害者と健常者などの間では逆に弱者側への対応が厳しくなっていると感じられることさえあります。 また、かつては短命であることが多かった難病者も、医療の進歩により比較的長寿をまっとうできるようになりました。人生は80年を超える時代になり、これからは例え病気であってもより自分らしい生き方が求められるようになるでしょう。 そのためにも、私たちの社会はいついかなるときでも、どういった立場であっても人間としての尊厳がなによりも大切にされなければばなりません。 |