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難病患者サポート事業


お知らせ写真レポート(2日目)

松川浦の「ホテルみなとや」周辺の様子

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 48 やとやの屋上から撮影した日の出の様子。とてもきれいだった。もともとこのあたりは松並木と砂浜の美しい風景が続き、夏は海水浴、冬はカニ料理で賑わっていた。
 49 かし、多くの松並木は塩害で枯れてしまった。地盤沈下もしている。おまけに巨大堤防が作られた。この季節(3月)は、松並木から太陽が出るが、夏になると堤防から日の出するようになったそうで、震災前とはころっと変わってしまった。
◇どんこ店長ブログ 震災後の相馬松川浦周辺の現状(外部サイト)
 50 の改修工事。地盤沈下したのをかさ上げしているのがわかる。
 51 り漁に出ていないのか、漁具も積んでおらずきれいな漁船も多かった。
みなとやのおかみさんの話によると、漁船が漁に出るのは週に1回と決まっているそうだ。理由を尋ねると、そんなにたくさん捕っても福島の魚は売れないからということ。以前のように築地市場(東京)に卸すこともできない。
 52 前は水産物直売センターのあったところ。以前にあった看板も撤去されていた。
 53 線バスの停留所。本数は少ないもののバスが運行されているようだ。 
 54  ホテルみなとや」も被災されたが、きれいに改修して再営業されている。
松川浦では、他でも被災したホテルや旅館が営業を再開しており、福島県もこのあたりまで来ると少しずつ復興しているのが感じられた。

山下町(宮城県)周辺の視察

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 55 みなとやを出発して国道6号線を北上。
 56 山元町(宮城県)で過去の津波浸水区間を表す標識。
 57 JR坂元駅の近くを通過。坂元地区では、津波が国道6号線を突破して山側に達したが、現在はきれいに整備されている。
◇山元町を襲った大津波の証言(外部サイト)
 58 常磐線の高架による復旧工事が行われていた。山元町の復興計画に合わせ、JR東日本でも津波被害の再発を防止するため軌道の一部を高架にして陸側に線路を移設している。
 59 農地では、いちごのハウス栽培が復活していた。もともと果樹生産が盛んな地域だが、水耕栽培は塩害による影響を受けないのが幸いかもしれない。
 60 旧常磐線山下駅近くの橋梁。
 61 元町総合案内板。
 62 旧JR山下駅跡。線路や信号機なども撤去された。
 

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 63 駅のトイレだけは、地元の常磐線の復興を願う希望で残されている。
 64 ただし、水は出ない。用を足した後、ペットボトルの水で流す。
 65 駅前の橋元商店。この日は休みだったが営業は続いている。今後の復興計画や駅の移設による影響が気がかりだ。
 66 駅の横に写真館があった。
 67 なかで写真を観る参加者。
 68 被災時の写真。
 69  同上
 70 定期バスが運行されているようだ。住宅も少しずつ再建されている。
 

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 71 津波により社殿が流出した八重垣神社。大きな松の木だけが残った。鳥居は後からのもの。流出したのは安政2年(1855年)に造営されたといわれる由緒ある社殿だった。
 72 伊藤さんたちが再興した小さな祠に祈願した。
 73 八重垣神社。
 74 放置されたままのバス。
 
閖上地区(名取市)の視察

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 75 今年も来ました、牛たんの一休で昼食。
 76 とてもおいしい牛タン定食。
 77 名取市内を通り閖上地区に向かう。
 78 プレハブの市場があった。
 79 交差点を左折して閖上地区に。
◇閖上(ゆりあげ・名取市)を襲った大津波の証言(外部サイト)
 80 壊れたままの建物の横を通る。
 81 名取市の復興のシンボルになっている日和山。3月11日に近かったためか、同市で復興のシンボルになっている日和山(高さ6.3メートルの人工の山)には多くの人が訪れていた。
 82 日和山を説明する看板。
 
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 83 日和山の上で祈願する参加者。
 84 車が多く、風景も以前より少し変わった。
 85 しかし、多くの住宅跡は更地のままだ。
 86 震災前の閖上地区の様子。上の写真とほぼ同じ場所。
 87 海岸では巨大堤防の建設工事が行われていた。
 88 長い堤防が続く。
人命が大切とはいえ、陸を巨大堤防で囲ってしまうことには複雑な心境だ。本当にこれが地域に暮らす人々の要望なのか、大災害から得た結論がこれなのか、いろいろな思いがめぐりる。
 89 名取川の水門。 
 90 放置されたままのバイク。
  

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 91 津波による被害を受けた閖上中学校。ここでも多くの犠牲者が出た。現在は他の場所に移転している。
◇公民館から中学校への避難があだに“閖上の悲劇”を生んだ「避難誘導」の謎(外部サイト)
 92 視察を終えてJR仙台駅へ。


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