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令和元年度厚生労働省難病患者サポート事業

難病患者サポート事業


もうすぐあれから9年。私たちは今年も、東日本大震災後の状況をしっかりと見届けるためのツアーを開催しました。


お知らせ概要

全体報告
 実施事業名 3.11東日本大震災 第8回福島を肌で感じるツアー
 主催団体  一般社団法人 日本難病・疾病団体協議会
 共催団体 福島県難病団体連絡協議会
岩手県難病・疾病団体協議会
NPO法人宮城県患者・家族団体連絡協議会
 日  時 2020年(令和2年)3月7日(土)10:00~20:00頃(夕食交流会を含む)
         3月 8日(日)9:00~13:00頃(1泊2日)
 参加者 8名
 交通手段  レンタカー(10人乗りワゴン車)
 行 程 ●第1日:3月7日(土)10:00 JR郡山駅西口広場出発
 [福島県]
 JR郡山駅 → 大熊町(福島第1原発の近く)→ 浪江町(JR浪江駅周辺、請戸漁港)
 南相馬市(JR小高駅周辺、江井宅)→ ホテル西山 (被災患者と夕食・交流会)
  
●第2日:3月8日(日)9:00 ホテル西山(原ノ町)を出発
 [宮城県]
 亘理郡山元町旧JR山下駅周辺 → 名取市閖上地区 → 昼食 → 仙台空港・JR仙台駅にて解散


お知らせPhotos report

*画像をクリックすると拡大します。
  
JR郡山駅から大熊町へ
 3月7日(土)10時、ワゴンタイプのレンタカーでJR郡山駅を出発、今回は行けるところまで行こうということで国道288号線を東へと走り、3月4日に「帰還困難区域」の避難指示が一部解除されたばかりの双葉町方面を目指しました。途中、昨年10月の台風19号による大雨で河川が氾濫して壊れた道路の補修工事を行っているところに何か所か遭遇しました。この大雨では双葉・大熊の中間施設に収容前の仮置き場から除染廃棄物を詰めたフレコンバック90袋が流出するという被害が起きています。周辺の放射線量や水質への影響は確認されていないということですが、周辺の方々は心配されたことと思います。
 車は双葉町に向かって進んでいきますが、気になるのは放射線量です。JR郡山駅の線量は0.125μSv/h。それが三春町を抜けて田村市都路町古道のあたりで測定すると0.77μSv/hになりました。

JR郡山駅を出発
 

昨年10月の台風被害の
復旧工事(三春町)

大熊町へ
 
  
福島第1原発
周辺の様子
  国道6号線を超えて県道252号線を海側に走り、たどり着いたのは福島第1原発から約1.2kmの地点の大熊町(大熊町は2019年年4月10日に原発立地自治体として初めて一部の地域が避難解除され2020年3月5日にJR大野駅周辺などが避難指示解除された)です。放射線量は6.47μSv/hとかなりの高値です。有人ゲートがあり、ここから先は通行証がないと通れません。道路から原発の一部が見えていました。周囲の家屋は無住で9年前と同じ状態です。しかも雑草は伸び放題。ここではまったくといっていいぐらい復興は感じられません。
 ちなみに第1原発の建屋周囲の空間放射線量は120μSv/hほどになり、これは8時間で一般人の1年間の追加被曝限度に達する高さということです。報道によると事故から9年になりますが、核燃料搬出作業はかなり難航しています。
JR常磐線は福島第1原発の事故により不通となっていた富岡~浪江間(20・8キロ)が3月14日開通、これにより全線復旧になりました。ただし駅周辺は除染していても、双葉町では線量が高くほとんど人が住んでいないようなところを列車は通り抜けていくことになります。福島県放射能測定マップでは双葉駅の線量は0.28μSv/hですが、数百メートル離れた谷町集会所では4.38μSv/h(福島県放射能測定マップ)を示していました。
 国の避難指示解除の目安は3.8μSv/h(年間積算線量で20ミリシーベルト)以下とされています。しかし、長期的には1ミリシーベルト以下を目標としていることから3.8μSv/h(年間20ミリシーベルト)でもかなり高い数値といえます。車両内における空間線量率の測定では問題ないという結論かもしれませんが、復興五輪に合わせての全線開通という印象が拭えません。

放置された家
 

放置された家と
常磐線のトンネル

あちらこちらが通行止め
 

遠方に福島第1原発が見える
この先は通行証が必要

原発の近くに放置された
フレコンバッグ 

国道6号線をひっきりなしに
走るダンプカー
   
浪江町
 浪江町の駅前では何件かの飲食店が営業しており、私たちもここで昼食を摂りました。JR浪江駅前の線量は0.21μSv/h(福島県放射能測定マップから)。除染によりかなり低くなっています。
 そして次に向かったのは2017年3月に避難指示が解除され、昨年に続き2回目の訪問となる請戸漁港です。現在、福島県では出荷制限魚種を除くすべての魚介類で試験操業が行われています。昨年は建設中だった災害時の避難所にもなる浪江町水産業共同利用施設が完成していました。他の漁港に避難していた漁船も戻っています。4月にはこの施設で待望の競りが再開される予定です。
 福島県の水揚げ量は震災前の2割程度に留まりますが、低迷していた価格は徐々に戻っています。漁業の復興はいよいよこれからですが、政府は福島第1原発の敷地内にたまる汚染水の海上放出を検討していることから、漁業関係者の間では「これまで積み重ねてきた努力が水の泡になるのではないか」と風評被害が広がることを懸念する声があります。
 請戸は放射線、津波、地震の三障害が発生しました。線量はだいぶんと低くなり、漁港の周囲では防潮堤の工事が進められているなど、この1年の間にインフラ整備は順調に進んでいるようです。しかし、漁港の周囲はまだまだ手付かずの状態であり、まちづくりの整備にはまだ数年はかかるように感じました。
 国道6号線は、あいかわらずダンプカーがひっきりなく走っていました。特に目につくのは汚染土を中間貯蔵施設に運ぶダンプカーです。除染作業で出た汚染土はフレコンバック(大型の黒い袋)に詰めて県内の仮置き場や公園、家の軒先などに置かれていましたが、政府はこれを双葉、大熊の両町に巨大な中間施設をつくり搬入しています。これだけで総事業費1兆6000億円にもなりますが、最終処分場をどうするかはまったく決まっておらず難しい課題を抱えています。

全線開通を前にした
JR浪江駅

請戸漁港
港内はきれいになっていた 

昨秋完成した
水産業共同利用施設 

請戸漁港を視察する
ツアー参加者

漁港以外は復興していない
 

同左
 
   
南相馬市
小高
 小高の人口は震災当時1万2842人。今年2月末時点での住民登録者は7346人まで減りましたが、さらに実際に住んでいるのはその49%の3663人にとどまります。
 しかし、2014年から毎年定点視察を続けている常磐線JR小高駅周辺は、昨年とは少し違う印象を受けました。まず驚いたのは駅前でタクシーが客待ちをしていたことです。全線開通に備えて駅員も常駐していました。すでに更地になったところや無住家屋はありますが、人の姿もちらほらと見られます。
 小高駅前の小さなカフェOMSB(Odaka Micro Stand Bar)は、家族連れや若い人たちで賑わっていました。コーヒーをドリップする森山貴士さんは大阪府の出身です。3年前、キッチンカーから始めて1年8か月前に「人が集まれる場所を自分たちで作りたい」という思いから仲間と共にお店を出したそうです。私たちもここでしばし休憩。
 となりの原町から来たという高校3年の男子は、毎週ほどここでのひと時を楽しむそうです。やっぱり人は居心地の良さそうなところに自然と集まってくるのですね。

客待ちのタクシー
が待機するJR小高駅

全線開通を前に
新しくなった運賃表 

駅前で集合写真
 オリンピックの幟がある

カフェOMSB
(Odaka Micro Stand Bar)

 

↑店内の様子
     左上が森山さん→
 
   
江井宅(小高)
交流会(原町)
 本日の最後は地元小高地区の江井恵子さん宅を訪問。昨年のツアーで南相馬市の仮設住宅を訪問したとき、江井さんは仮設を引き払い8年ぶりに自宅に帰る準備をされていました。昨年は「家に帰っても農業をできるわけでもなく食べて寝るだけだ」と言っておられたので、その後の様子が少し気になっていました。
 そして1年ぶりにお会いできたわけですが、昨年の8月にお父様を亡くされるといったご不幸がありました。それでも「後片付けで忙しい」と言ってお元気そうな様子だったのでほっとしました。
 江井宅には大きな馬が3頭もいます。避難中も、苦労して通いでお世話をされていました。長い間主の留守が続いて人恋しいのか、私たちはお馬さんに大歓迎されました。
 5時ごろに南相馬市原町のホテルに到着。夜は近くのレストランで交流会です。福島ツアーは、回を重ねるごとにリピーターが多くなり、参加者の連帯感が強くなっていることを感じます。

江井さんの自宅
 

震災から守ってきた
お馬さん

人懐っこい
お馬さんに歓迎された

自宅の庭で江井さんから
様子を聞く参加者

原町のレストランで交流会
 
   
山元町 
旧JR山下駅
  2日目は朝から雨。8回の福島ツアーで初めてのことです。きょうの視察は、宮城県亘理郡山元町(旧JR山下駅周辺)と名取市閖上ですが、この2か所は第1回のツアーから定点視察をしています。
 いちごを特産とする山元町の人口は12,235人(今年2月時点)。昨年の同月比でマイナス52人なので若干は減少したものの大きくは変わりません。震災前からは減りましたが、現在はだいたい横ばいのようです。旧山下駅周辺は昨年見た状況と大きな変わりはなく、つぶれかかったホームがわずかに残っていました。それでも地元の男性から話を聞くことができたことは収穫でした。
 2016年の第4回福島ツアーで同地を訪問したとき、山元町では沿岸部を走る県道を内陸に移設。4∼5メートルかさ上げして防潮堤の役割をもたせる計画がありました。県はルート上にあり、海側に取り残される15世帯に対して立ち退きを要求していましたが、住民側は県道ルートの変更を求めていました。その後どうなったのか気になっていましたが、男性によると県が取り残された世帯の家屋を買い取ることで話がついたということでした。
 毎年、3月11日はここでも追悼式典が開催されますが、今年は事情が違います。お話をお聞きした地元男性は「式典はやるよ」と話されたのですが・・・
 昨年訪れたときは、震災慰霊碑前に町の職員等が出て追悼式の準備をしていましたが、今年はほとんど人影がありません。結局、新型コロナウィルスの感染拡大防止のため式典形式を見合わせて献花台を設置し、自由献花形式のみで執り行なわれたようです。
 やもえないことかもしれませんが、ご遺族は残念な思いをされたこととお察しいたします。こんな田舎の屋外での開催でもダメなのかというのが私の率直な気持ちです。

新常磐線の高架を超えて
旧JR山下駅に向かう

旧JR山下駅 ここまで来ると様子が大きく変わる 

同左
 

旧JR山下駅

旧JR山下駅の慰霊碑を視察
山元町では町全体を内陸に移動
かさ上げ県道より海側には家は新築できない。
    
名取市閖上
 最後は名取市の閖上です。まずはいつものように、慰霊のシンボルとなっている高さ6.3メートルほどの日和山から全体を視察します。最初の印象は整地が進んだなという感じです。昨年は工事中だった日和山の正面は、きれいに舗装されて駐車場も整備されていました。山から見渡した様子でも、かなり遠くまで整地されていました。まちの基盤は整ってきたので、今後の課題はどれだけの住民が戻ってくるか、あるいは新たな住民を呼び込めるかということかもしれません。岩手・陸前高田など、他の被災地でもまちづくりはできたが人が戻らないため更地が残るといった被災地共通の課題があります。

日和山
 

日和山からの様子
遠方まで整地されている

日和山からの様子
きれいに整地されている

日和山

昼食の牛タン定食
閖上はかなり整地されていた。
いずれ、震災以前のような賑わいが戻る日が来るのか。
それにしても名取市の味噌牛タンはおいしかった。
文・写真 藤原 勝 



お知らせ参加者の感想

 矢羽々京子さん(岩手県) 私は岩手から初めてこのツアーに参加したのですが、平地の津波のすごさを見て驚きました。水が水平に流れて奥地まで届いたんだなぁと。そのなかで少しお家が再建されていて、やっぱり元に戻ってお住みになるのかぁという感じでした。
 大西佳恵さん
(東京都)
 今回は2年ぶり3回目の参加になりました。家が建ったりみんなが仮設住宅から戻ってきたりしたのですが、大熊町の第1原発の近くまで行くと線量が高くて放射線はほんとうに怖いです。放射線というのは見えないので忘れがちですが何万年も残るので やっぱり事故とかはだめだと思うので自然エネルギーになればいいなと思いました。あと野馬追の馬と甲冑を見たので行きたくなりました。震災を通じて、いろんな新しい知り合いの方ができたのは良かったと思います。
 中澤幸子さん
(静岡県)
静岡から2年連続の参加になります。昨年と今年で変わっているところ、変わっていないところなどいろいろありましたが、原発を遠くから見ながら今住んでいる静岡の原発を思い起こして、静岡で地震があったらどうなるのだろうと考えながら福島をまわらせていただいております。地震対策の重要性をとても感じる今年のツアーでした。
 小関 理さん
(宮城県)
やはり福島第1原発近くの線量がひじょうに気になりました。あの場であれだけの線量ということは、これからも線量は下がりようがないということだと思います。まわりの入れない家の悲惨さというか悲しさは印象に残りました。9年目であの状態ですから、これからどうなるのかと考えるとひじょうに暗い気持ちになります。来年のツアーはどのようになるかはわかりませんが、やはりこうやってきちんと見ていかなくてはならないと思いました。
 渡邊善広さん
(福島県)
今回のツアーは9年目ということで、変わったことと言えば江井さんが南相馬の仮設住宅から小高の自宅に戻られたことがあります。福島は復興しているように見えますが、まだまだだと思います。フレコンバックの量がものすごく減りました。処理場まで運ぶダンプ、また帰るダンプが忙しく動いておりました。福島は原発事故がありますが、宮城では原発がないので復興が進でいます。特に閖上は昨年とはがらりと変わっている状態ですばらしいことだと思います。少しずつ復興していけばいいなぁと思います。
 海子輝一さん
(宮城県)
私は3回目になります。今年はツアーの節目の年ということで来年はどうなるかわからないのですが、短い3年でも記憶だとか、震災遺構といわれているものの風化や忘却というのが進んでいることを1年ごとに感じており、今年も再確認したということがあります。災害というのは震災以降も起きていて、それはいろんなかたちで私たちの日常に大きな影響を与えるのですが、そういった忘却を前提にしてどういったことを学べるのか。これにはいろんな記録の仕方があると思うのです。そのなかで昔から人類がやってきた口承文化というか、文字とかに残さない方法が最近はもっとも大事なものを伝える方法になっているのではないかと、9年経ってあるいはこのツアーに参加して思うところであります。
 藤原 勝さん
(京都府) 
今回初めて福島第1原発の近くまで行くことができましたが線量も高く大きな衝撃でした。一方、浪江町の小高駅周辺では昨年とは少し様子が変わりカフェでコーヒーを飲むなど復興を感じることができました。ツアーに参加される方にはリピーターが多く、価値観を共有できる視察でした。
 伊藤たておさん
(北海道)
このツアーも今回で最後になるかもしれないと。この後、10年間の総まとめをしょうという計画でいます。今回は「Fukushima 50」という映画を観たせいか、原発の問題がよりリアルに感じることができました。今回は初めて郡山から双葉まで出るルートを通り、走りやすくて時間もたいへん節約できました。しかし、双葉近くの道路はあちらこちらで通行止めという状況のなかでかろうじて国道6号線に出ることができました。このあたりになると帰宅困難が解除されず、そのままの状態で放置されている家がたくさんあることが目につきました。9年も10年も放置され町に、人がはたして帰ってくることが可能なのかということで、たいへん大きな疑問を感じています。今までは高速道路かあるいは国道を素通りということしかできませんでしたが、今回は大熊町、双葉町のなかに入って見ることができましたし、浪江駅前では食道も新たに開いておりそこで食事をしました。いろんな意味で、初めてということが多かった今年のツアーだったと思います。ただ、原発で町に帰れるかという問題だけでなく、原子炉の解体がどこまでできるのかという問題。そして地震、津波、原発という三重の災害に遭った人たちの心情というものを、たいへん強く感じることができたツアーだったと思います。



お知らせ事務局

一社)日本難病・疾病団体協議会 難病患者サポート事業事務局
 〒170-0002
 東京都豊島区巣鴨1-11-2 巣鴨陽光ハイツ604号
 TEL 03-6902-2083
 FAX 03-6902-2084
 mail jpa@ia2.itkeeper.ne.jp
*通常業務時間は土日・祝日を除き9:30~17:30です。
なお、職員体制の都合により留守にすることもありますのでご了承ください。

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