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難病患者サポート事業



お知らせ写真レポート1(1日目)

JR郡山駅から二本松を通り南相馬へ

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 1 東京は桜が満開だったが、JR郡山駅を降りると少しひんやりとしていた。
 2 西口で待っていたつばさ交通の黄色いバス。
 3 今回お世話になった運転手の朝倉さん。とても親切にしていただいた。
 4 ツアーに同行していただいた朝日新聞の青木記者。バスの中で震災に関するレクチャーをしていただいた。
 5 ツアーをサポートしていただいた福島難病連の渡邊さん(左)と伊藤代表理事(右)。
 6 同じくツアーをサポートしていただいた宮城難病連の小関さん。
 7  みんなそろったところで10時に出発。
 8 バスは二本松を通り南相馬方面へ。
 
 
飯館村付近を視察

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 9 相馬郡飯館村付近でバスを降りて視察。
 10 線量を測定すると2.65μSv/hとやや高い。
 11 閉鎖された店舗。
 12 避難しているのか、人が住んでいる様子はない。
 13 農地も荒れていた。
 14 さらバスは進み旧飯館村役場を通過。現在は警察が基地として使っているようだ。
 
 
道の駅「南相馬」で昼食、江井さんと合流して仮設住宅を見学

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 16 道の駅「南相馬」まで来て休憩。(福島県南相馬市原町区高見丁2丁目30-1)
 17 バスの中でお弁当を食べる。
 18 ここで、今日の視察をサポートしてくださる江井恵子さん(左)と合流。右はお母様。
 19 たまたまお母様が道の駅で「震災に耐えた押し花絵展」されていたので観賞させていただいた。
 20 説明に「花の持つ癒しの力と思いでを融合させた安らぎの世界をどうぞご覧下さい。これらの作品を観ることで心が癒され、活力が生まれましたら幸いです」とあった。
 21 道の駅「南相馬」の隣に仮設住宅があり、江井さんもここで避難生活をしておられる。
 22 今回は特別に江井さんの住居(右端)を見せていただいた。
江井さんは5人家族なので3部屋と台所の仮設。ちなみに1人暮らしだと1部屋と台所。隣とは壁1枚なので内緒話はできないらしい。また、仮設住宅での生活はとても息がつまり、大きなストレスになるという。
 23~26 住居内。 1部屋は四畳半ぐらい。広くはないが思ったよりもよくできているという印象。
後からできたので、仮設の中では良い方らしい。
ただ、押入れがないみたいで、衣類や荷物の収納はあまりできないようだ。
 
 
南相馬市小高区(塚原、村上周辺)の視察

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 27 バスは小高区塚原方面に向かって進むと、広い荒野が見えてくる。
小高町に入れるようになったのは、2012年4月。しかし、地元の方はその後も復興は何も進んでいないという。
 28 1階が破壊された家。人は住んでいない。
 29 原形をとどめないほど潰れた農業機械と自動車。津波の恐ろしさを物語っている。
 30~40 同様に潰れた家や自動車。
 追記  3月24日のツアー後、東北電力が南相馬市の小高地区に原発の建設を計画していたが、地元の賛成を得られないので断念した、という報道があった。
小高区の大部分は、立ち入り禁止の警戒区域だったが2012年4月16日に大半が「避難指示解除準備区域」に再編された。日帰りでの帰宅は自由だが住むことはできない。
 
 
双葉郡浪江町の吉沢牧場周辺の視察

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 41 双葉郡浪江町の吉沢牧場の前。(福島県双葉郡浪江町立野春卯野157)
福島第一原発から約14km地点。警戒区域。
 42 とにかく行けるところまで行こうということで進んできたが、この先は通行止めになっていた。
 43 ここでバスから降りて周辺を視察。
 44 吉沢牧場では現在も国の方針を拒否して多数の被爆した牛が飼われている。
 45 遠方に牛の姿が見えた。
 46 線量を測定して写真に記録する伊藤代表理事。
 47 9.99μSv/h以上とかなり高い。ちなみに、この測定器は9.99以上は計れない。
数値を見て、参加者の顔も緊張ぎみ。
 48 とりあえずみんなで写真を撮って、この場を離れた。
 
 
ホテルに到着して学習会、食事会

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 49 今日の視察を終えてロイヤルホテル「丸屋」に到着。(福島南相馬市原町区旭町2丁目28番地)
 50 すぐに会議室で学習会が始まる。
 51 各自の自己紹介の後、江井さんが体験談を話してくださった。
 52 続いて、青木記者が新聞連載記事「プロテウスの罠」をもとに講演。
 53 7時をわまりようやく夕食になった。
 54  事務局の宮永さん(右から2人目)がこんなに笑顔をしているのはめずらしい。他の参加者の方々も、食事がはじまると緊張が解けてほっとした表情になった。それだけ被災地の様子は厳しかった。
 55 記念写真。
 56 2次回も、部屋でまじめに語り合った。

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