ホテル丸屋、JR原ノ町駅 | |
57 | 8時30分にホテルを出発。 |
58 | ホテルの前は常磐線の「JR原ノ町」駅がある。常磐線は現在、一部区間のみ列車が運転されている。 |
59 | しかし、朝にもかかわらずホームには人影がなかった。 |
相馬市松川浦「水産物直売センター」跡を視察 |
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60 | 水産物直売センターの跡。(福島県相馬市尾浜追川186-2) バスが駐車しているところには、かつて直売センターがあった。現在は看板が残っているだけ。 |
61~62 | 漁に出られない漁船。現在は週に1度、試験操業を行っている。 |
63 | 崩れたままの施設。 |
64 | 地元の漁師さんを取材する青木記者。 ときどき船のエンジンを回さないと調子が悪くなるので、今日は来ているとのこと。 現在、試験操業をしてセシウムの量を測り様子を見ているが、徐々に大丈夫になってきている。現在、出荷できているのは毛ガニ、松葉ガニ、タコ、ヤリイカ、マイカだそうだ。 ただ、若い人の中には、漁業から離れて除染の仕事に行ったり、魚を捕るのをやめるていく人もいる。この漁師さんも、いつになったら再開できるのだろうか。再開したところで、福島の魚をいったいだれが買ってくれるのだろうかという話をされていた。 |
65 | 電力不足を補うため、火力発電所はもうもうと煙をあげてフル稼働している。 |
宮城県山元町「JR山下駅」周辺を視察 | |
66 | バスは国道6号線を仙台に向って走る。 |
67 | ALSなどの神経難病の方が多く入院されている宮城病院の横を通過。(宮城県亘理郡山元町高瀬字合戦原100) 震災では、この病院も被災して壁にひびが入るなどした。被災後の2011年5月に伊藤代表理事らがこの病院を訪問している。 |
68 | 山元町付近。このあたりはの農地は塩害が大きく、塩分の除去作業が行われていた。 |
69 | 被災した家が見えてくる。 |
70 | 「JR山下駅」周辺。 写真の奥に「ふじ幼稚園」があった。同園では、送迎バスごと津波にのみこまれ多くの園児が犠牲になっている。 |
71 | 常磐線の「JR山下駅」。(宮城県亘理郡山元町山寺字頭無150) |
72 | 駅舎などは津波の被害を受けて撤去されている。 |
73 | トイレは、復興を願う地元の強い要望で撤去を逃れた。 しかし、水は出ないので、用をたした後自分でペットボットルの水をかける。 |
74~76 | 被災したホームや北頭無踏切。 |
77 | 駅前の橋元商店と簡易郵便局。 お店の方によると、隣近所の方も復興住宅に行ってしまいお客さんはかなり少ないが、町の復興を願いがんばって店を開けているという。ときどきバスでボランティアの方が来てくれるとのこと。 現時点で復興計画はない。 |
リンク | 朝日新聞 全線復旧への道のり遠く、JR常磐線(写真) |
宮城県名取市の牛たんの店で昼食 | |
78 | 山元町から常磐・仙台東北道路で名取市に。 |
79 | 牛たんの店「一休」。地元でも有名店なのだそうだ。(宮城県名取市増田柳田529-1 ) |
80 | ボリュウム満点で、とてもおいしいかった。 |
名取市閖上地区を視察 | |
81 | バスは最後の視察地、名取市閖上(ゆりあげ)地区へと向かう。 |
82 | 県道129号線を進むとポツンと被災したお寺が見えてくる。曹洞宗の「東禅寺」と思われる。(宮城県名取市閖上2丁目16−3) |
83 | さらにバスは県道を進む。正面に閖上水門が見えてきた。 |
84 | 閖上水門付近にバスを止めて周囲を視察。 |
85 | 「妙法蓮華経 為東日本大震災殉難者之霊三回忌追善供養」の塔婆。 冷たい風が吹き、とても寂しげだった。 |
86 | 家の基礎だけが残っている。 |
87 | 閖上水門。津波の高さが記されている。 |
88 | 日和山(標高6.3m)で合掌。 |
89 | 日和山から見た閖上地区。かつてのよく整備された住宅地が広大な更地になっている。 |
90 | 震災直後の写真。 |
仙台空港からJR仙台駅 | |
91 | 2時ごろ仙台空港に到着。(宮城県名取市下増田字南原) 被災時、津波の痕跡高さ5.7m、浸水深は3.4mと推測されている。 |
92 | ここで4名がツアーを終えた。 |
93 | 現在、空港はきれいに復旧している。しかし、空港から海までの間はなにもない。 |
94 | JR仙台駅。無事にツアーの全日程を終了した。 |